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私の人生と男の料理。生きるアクセントから日常へ、その先は・・・〔私の男の料理の原点・檀一雄氏著書『檀流クッキング』〕

私の人生と男の料理。・・・大そうなタイトルをつけてしまいました。笑

歳をとったせいか、またコロナ禍だからか、料理はどうやら私の人生において生きるアクセントから日常的な存在になりつつあります。

「男子厨房に入るべからず。」

調べてみると、由来は『孟子』の「君子、厨房を遠ざくる也」からきているとの説がありました。『孟子』の王道(君子の道)を説く一節に、

「人情のある君主であれば、たとえ家畜であっても、生きているのを見ると、それを殺すのは忍びない気持ちになります。ましてや、その声まで聞いてしまうと、食べるのも忍びなくなってしまいます。しかし、そんなことでは国を治めることはできないので、君主たるものは、そのような気持ちにならないように、調理をするために動物を殺している厨房には近づかないほうが良いのです」

(「男子厨房に入れ-日本の西洋料理index」から引用)

と書かれているようです。

日本で一般的に「男子厨房に・・・」がつかわれている意味とは大きく異なるようです。

 

私が料理というか、料理の手伝いらしきものに関わったのは小学校のころだったと記憶しています。昔は盆・正月は家族にとって一大イベントでした。とくに正月は4~5日前からおせちの仕込みがはじまり、年越しはピークになり、やれ銀杏の殻むきだの・紅白蒲鉾の包丁入れだの・筑前煮の具材切りだのと母を手伝っていました。そしてわが家の新年恒例の行事は初詣のあと父が自宅の庭で大きな鯛を焼くことでした。私はこの手伝いもしました。・・・とこんな具合に私のなかに料理は自然と入り込んできたのです。

 

私が本格的に料理をはじめたのは大学に入ってからです。福岡を出て東京の大学に入った私はそこで「檀流クッキング」(檀一雄※著)に出会います。

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

 

檀一雄:現女優である檀ふみさんの父親。小説家・作詞家・料理家です。

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金のない貧乏学生でしたからせめて料理本でもと思ったのでしょう。買って読んでみると美味そうな「男の料理」ばかりで、檀氏の男っぽい文体は毎年正月の朝に父と鯛を焼くダイナミックさと立ちのぼる香ばしさを彷彿(ほうふつ)とさせるものでした。以降、福岡に帰省すると必ずいろいろなレシピ本を参考にルーからつくる本格カレーやビーフシチュー、ステーキやチキンの丸焼き・・・と私の料理は「男の料理」と化し加速度的に進化していきました。

 

結婚して長男と次男が家族に加わり、私の「料理」はピークを迎えます。

以前に私のブログ、

nanndemotanoshimo.hatenablog.com

に書きましたが、当時仕事が忙しく家庭をかえりみなかった自分を反省し、どんなに忙しくても・どんなに疲れていても土日くらいはスポーツと食事は子供とともにしようと決意し、家族の食事において私の「料理」は復活しました。

料理を重ねるうちに、妻や子供たちの喜ぶ顔みたさに私の料理のレパートリーは和・洋・中から本格ラーメン、さらにはデコレーションケーキづくりまであっという間にひろがりました。

いまでも覚えていますが、彼らに好評だったのは「パパのお寿司屋さん」・「パパの天ぷら屋さん」です。妻や子供たちは食卓に座り、彼らの「パパ、まぐろを握って!」の注文を受け、私は「ヘイ、ただ今!」とカウンターの向こうで寿司を1カンずつにぎって寿司屋さながらに出すのです。天ぷらも1品ずつ揚げて出すのです。・・・いまでもいい思い出になっています。笑

また中華も当時はほぼコース料理並みに品数だけはつくれました。(味はともかくです。笑)

デコレーションケーキもつくりました。子供たちに誕生日ケーキは「何がいい?」と聞くと「きかんしゃトーマス!」というのです。こりゃあ売ってないなと思った私は自分でつくるしかない!と思い、妻に教わりながらスポンジ、生クリーム、飾りつけまですべて行いました。笑 どんな出来だったかは記憶にありませんが(ビデオを探せばあるでしょう)、彼らの喜んだ顔だけは覚えています。

また何時間もかけて煮込んだ鶏がらスープを使った鶏ラーメンはいまでも息子たちには「あのラーメンは本当に美味かった!」といわれています。

もはや「料理」は私の人生にとって・家族にとっていいアクセントだった時代と振りかえります。

 

時は経ち、子供たちは独り立ちし、わが家は私と妻の2人になりました。私の両親は亡くなりましたが、妻の両親は健在です。義父母ともに車いす生活になりましたので、今はわが家の近くにあるホームに移ってもらっています。

そしてコロナ禍になるまでは、毎週わが家にお招きして楽しんでもらっていました。できるだけ息子たち夫婦も合流します。・・・そこで再び私の「料理」は復活しました。義父母と私と妻、息子夫婦、そして孫まであらゆる世代が勢ぞろいした食事会です。基本は妻と嫁がつくりますが、私も昔取った杵柄といえるほどではありませんが役に立ったようです。

料理は楽しいなあ!最高の気分転換になる!・・・以前ほどではないもののやはりいいアクセントになっていたと思います。

 

そしてこのコロナ禍です。義父母は残念ながらお招きできません。わが家は再び私と妻の2人の日常になりました。それにともない私に時間があるときは平日も私が夕食をつくることがあります。・・・もはや料理は私にとって日常的な存在になりつつあります。例えば昨晩私がつくった夕食は、

  • 真鱈のソテー、ズッキーニとネギ添え(オリーブオイルにニンニクの香りをつけて、無塩バターで仕上げ)
  • ダイコンと鶏手羽先の炊き合わせ(茅野舎のあご出汁で)
  • タマネギとキャベツ、豆腐の味噌汁(ほんだしで)
  • アサリと人参の炊き込みご飯〈昆布出汁で〉

とこんな感じです。・・・現在私がダイエット中なのでかなりの健康食です。笑

 

以上のように私の人生において「料理」は欠かせないものとして存在してきました。

そして時の変化とともに「手伝いの料理」から「男の料理」、そして「アクセント」から「日常」へと変化してきました。

これからもたぶん私は楽しみながら「料理」をつくり続けるでしょう。・・・とってもいい趣味・自分にあった趣味だと思いますから。

あと10年経ったら私は仕事から引退すると思います。そのときは友達と集まって「男子、厨房に入って・・・」料理自慢をしあうのも楽しいかなと思っています。笑

「男の料理」が復活し再び私の「生きるアクセント」になるかもしれません。

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