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父の日に格言「親父の小言」について思うこと

今週のお題】お父さんに伝えたいこと

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朝きげんよくしろ

火は粗末にするな

人には腹を立てるな

風吹きに遠出するな

恩は遠くからかえせ

年寄りはいたわれ

人には馬鹿にされていろ    

年忌法事をしろ

初心は忘れるな

家業には精を出せ

借りては使うな

働いて儲けて使え

不吉は言うべからず

人には貸してやれ

難儀な人にほどこせ

女房は早く持て

義理は欠かすな

ばくちは決して打つな

大酒は飲むな

大めしは喰らうな     

自らに過信するな

貧乏は苦にするな

水は絶やさぬようにしろ

戸締りに気をつけろ

怪我と災いは恥と思え

亭主はたてろ

後始末はきちんとしろ

神仏はよく拝ませ

何事も身分相応にしろ

袖の下はやるな貰うな

書物を多く読め

人の苦労は助けてやれ

家内は笑って暮らせ

出掛けに文句を言うな

万事に気を配れ

泣きごとは言うな

産前産後は大切にしろ

病気はよくよく気をつけろ

(以上、順不同。私の湯飲み茶わんに書かれている「親父の小言」から)

格言「親父の小言」を再現しました。一読していただきたかったからです。(ちなみに「小言」の内容は出所によって少し異なるようです。)

私の書斎には、毎年秋~春にかけて、この湯呑み茶わんが登場しますが、そのたびに私はそこに刻まれた「小言」を読み返します。

また父の日には、亡き父の思い出と併せてなぜかこの「小言」を思い出します。

人は誰もが生きていくうえで、ちょっとした悩みや、心の蟠(わだかま)り、また周囲との隔絶感をもってしまうことがあります。それはあとで考えてみると自分の思い違いや、考え過ぎということが多いのですが、なかにはちょっとしたことが先々の大きな問題を引き起こし、それが深い悩みや孤独につながってしまうこともあります。そんなときに、ある時はそっと・さりげなく、ある時はガツン!と教えてくれる・・・それが私にとっての格言「親父の小言」です。

私は、以前にこの「小言」について、こんなことをブログに書いていました。

私は息子二人の親父です。私の父も、姉と私の二人の親父でした。・・・親にとって、息子や娘は自分の命をつなぐ大切な財産なんですね。幸せや自分以上の活躍を願います。間違いなく、私の父も(もちろん母もですが)、姉や私に対してそう思ってくれていたでしょう。だから、自分の成功体験はできるだけ息子や娘につないでやりたいし、失敗や過ちは繰り返さないようにつないでやりたいと思います。だけれども、それをつないでもらったはずの私も、成功もありますが、失敗や過ちを繰り返しています(笑)。・・・おそらく、私の息子たちも同様でしょう(笑)。

(以前に私が書いたブログから抜粋)

この親父の小言には、そういう親から子への愛情と、その愛情が、息子や娘の人の性(さが)、どうしようもない習性みたいなものを乗り越えられない可笑しさ・虚しさ・口惜しさが共存している、そんな風に私はみえました。

(同上)

ブログに書いたのは、やはり父の日の頃だったと思います。

私の父は、私にあれこれと説教臭いことをいう人ではありませんでした。どちらかというと、背中で生き様をみせてくれた人でした。しかしながら、この「小言」を読んでいると、父とのさまざまな会話やそのときの父の表情やしぐさが走馬灯のように蘇ってきます。いま思い返すと、父はさまざまな局面で自身の経験を私に伝えてくれ、また伝えようとしてくれていたのだと思います。

ただその時の私は、それを心から聴けていなかったのです。

なぜあのとき私は父のアドバイスを聴けなかったのだろうか? といま考えてみると、

1つには、私が「父と私は生きる(活躍する)時代が違うと思っていた」からだと思います。

父は私にとってなくてはならない・尊い存在でした。一方で、父は父の時代で活きた人であり、いまの時代に活きようとする私とは活きる時代が違うと思っていたのも事実です。高度成長の真っただなかで生まれ・育った私は、その時から自分を取り巻く環境の認識がスタートしています。ですからやむを得ないといえばやむを得ないのですが、私は私の環境認識のなかでしか活きようとしなかったのです。

5年位前に『忘れられた経営の原点』(後藤俊夫著、生産性出版)という本を読んで初めて知った言葉ですが「不易流行」という言葉があります。意味は、不変で本質的なものを忘れないなかにも新しいものをも取り入れていくという考え方(松尾芭蕉が説いた俳諧の理念)だそうです。この言葉から、時(時代)は流れていくが、そのなかで変わるものもあるが、変わらないもの・変えてはいけないものがあるということを知ることができます。

父は、当然ですが、私より何十年も前から生(活)きています。その分(長い期間考え・活きた分)だけ、少なくとも私より変えたほうがいいものと、変わらないもの・変えてはいけないものを知っていたと思います。

2つ目には、そのときは「自分が順風満帆のときだった」こともあります。

 順風満帆という表現は言い過ぎかもしれませんが、少なくとも現在から私の過去を振り返ると、もちろん吐血したりなど厳しい時期もありましたが、おおむね自分の思うままに、好きな仕事もできて(現在進行中です)、 経済的にも恵まれていると思っています。とくに父の晩年のころには、自分の勢いも最高のときだったと振り返ります。

だから父の話を心底から聴けなかったと思います。

多忙さと慢心が、父との会話の時間を減らし、父の言葉に「そうですね。」と言いつつも右から左に流していた自分がいました。

そして3つ目に、「感謝の気持ちが欠けていた」からです。

人生には関心・感動・感謝が必要なんだ!という人がいます。その人は、その3つのなかでもとくに感謝することがむずかしい!といいます。私もまったく同感です。

感謝はむずかしいなあといまでも思います。

ここでいう感謝は単に「ありがとう」という言葉を発することではなく、心からの感謝をいいます。自分が受けた「感」を相手に「謝」するとともに、自分が受けた「感」を咀嚼(そしゃく)して自分の周りの人に拡散することが感謝の本質であり、心からの感謝とはそういうものだと私は思います。

私は父からたくさんの「感」を受けました。私はそれを周りの人に拡散できるまでに・「感」じてもらえるまでに何かを創りあげることができたか。できていないとしたら、できるように・できるまでにもっと父に聴き・学ぶことができたのではないだろうか、と反省します。

以上、私は父のアドバイスを聴けなかった理由というか、反省について3つ書きました。書いているうちに、「照れくささがあった」「素直でなかった」・・・などいろいろと頭に浮かんできますが、冗長になりますのでこの辺(あたり)にしたいと思います。

父や母が亡くなって久しい。

いまも私がこの格言「親父の小言」を手放せない理由は、この1フレーズせいぜい10文字程度の36のフレーズが非常に魅力的かつ的(まと)を得ていることにありますが、もうひとつには、この36のフレーズの行間に父や母の顔が見え、いまの自分にもっと伝えたかったことを語ってくれるような気がしているからかもしれません。

もう今年の父の日は過ぎましたが、あらためて皆さんもお父様のことを思い出すだけでなく、「ありがとう!」とひと言でいいですから伝えられるといいと思います。

親父(オヤジ)である私にとって、プレゼントより何よりもその一言が嬉しいのです。

いまも私は、両親の墓前で、「ありがとうございます。」と「今後もよろしくおねがいします。」の二言は変わらず捧げています。

駄文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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